復讐するは我にあり 
昭和54(1979年) 松竹=今村プロ

製作:井上和男
原作:佐木隆三
監督:今村昌平
脚本:馬場 当
撮影:姫田真佐久
青楽:池辺晋一郎
美術:佐谷晃能

出演:
緒形 拳・三国連太郎・ミヤコ蝶々
    倍賞美津子・小川真由美・清川虹子
    殿山泰司・垂水悟郎・絵沢萠子
    白川和子・浜田寅彦・フランキー堺
    北村和夫・火野正平


直木賞を受賞した佐木隆三のノンフィクション小説を原作として、「神々の深き欲望」以来10年ぶりに今村昌平が手がけたドラマ。
原作が話題の作品だけに何度も映画化の話がもち上がり、黒木和雄はじめ何人もの監督が立候補した映画化権を射とめた今村昌平が3年に及ぶ取材調査を得た後、満を持して演出し、高い評価を得た。5人を殺害したあと全国を逃走した男とその父の相剋をとおして、人間の原罪と救済を問う物語で、犯罪心理がカミュの『異邦人』のような不条理なものとして描かれている。検閲によってカットされたシーンが多く、難解な印象を与えるが、ダイナミックな画面と緒形、三國の演じる父子の対面シーンは迫力満点。
                 (ぴあシネマクラブ日本映画編2002〜2003より) 
今村昌平監督は、人間の不可解な欲望やある種の妄執に取り組むと比類のない探求力を発揮する映画作家である。そしてその点でいちばん凄い出来に達したのがこの作品である。
西口彰という実在の犯罪者がいて、1963年に全国を逃げまわりながら5件の殺人をやり、翌年逮捕されて1970年に死刑になっている。彼は他にも多くの詐欺や窃盗もやっている。佐木隆三がこれを徹底的に調べてノンフィクション・ノヴェルに書いたのが原作になっているが、今村昌平自身も更に調査を重ねてこの映画にしている。
緒形拳に演じさせた榎津巌という連続殺人犯はこの西口彰をモデルにした人物である。この男の兇悪な殺人や詐欺のかずかずを詳細に描いてゆく映画になっているのであるが、そのサスペンス、スリル、凄味、冷酷さなどの映画的な面白味もさることながら、なにより見事なのは、この犯罪者の生いたちをたどりながらその性格を掘り下げたり、被害者たちとの関係において揺れ動く心理を追求した部分である。

この男は若い頃から嘘が上手かった。学歴もなくやれるはずのない進駐軍の通訳になったり、逃亡中は大学教授のフリをしたり弁護士のフリをしたりしていた。人をだますことが上手かったというより、彼自身、ありのままの自分を受け容れることができず、幻想の中に生きている人間だったようだ。その幻想が維持できなくなるとき犯罪に走るらしい。
昭和38年、九州で男2人を惨殺、現金を奪った犯人の榎津 巌(緒形 拳)は、逃避行を重ねる。一方、別府で旅館を営む巌の実家では、老父の鎮雄(三国連太郎)、母かよ(ミヤコ蝶々)、妻加津子(倍賞美津子)が、訪れた刑事に捜査への協力を誓う。
殺人を犯して逃亡中、彼は浜松でコールガールを出入りさせるアイマイ宿に泊る。そこで旦那から虐待されている女主人(小川真由美)と関係を持ち、その母親で殺人の前科をもつ老婆(清川虹子)とも親しくなる。そして彼女たちから正体を見破られる。彼とは同類意識を持つせいか、この女主人も老婆も決して彼を警察に訴えるようなことはしないのだが、結局彼はこの二人も殺してしまう。
憎悪でもない。金のためでもない。安全のためでもないらしい。
ではなぜか? これがこの映画の最大のヤマ場であり、ふつうの犯罪映画では見たことのない、人間探求の謎に満ちた興味しんしんのところである。論理的には説明困難であるが、彼ら三人の息づまるようなやりとりの中から、人間が殺意のとりこになってゆく瞬間というものがくつきり見えてくるように感じられる。それはどうやら、嘘に生きている人間が自分のつく嘘を直視できなくなる時であるらしい。あたかも嘘の自分を殺すように彼は自分の理解者を殺す。犯罪映画が第一級の人間探求の映画になったのである。
                     (佐藤忠男著 「日本映画300」(朝日文庫) より)