裸 の 島
昭和35(1960年)近代映協


製作:新藤兼人・松浦栄策
監督・新藤兼人
脚本:新藤兼人
撮影:黒田清巳
音楽:林   光

出演:乙羽信子・殿村泰司

    田中伸二・堀本正紀

 
協力出演:
    笹島小学校生徒
    尾道放送劇団・千葉雅子
    鷲浦安楽寺住職


音楽担当の林光の美しい交響詩ふうの音楽と、若干の音響効果、それにいちどだけ女主人公(乙羽信子)の泣き声が入るが、いっさいセリフはなく映像だけで語るという画期的映画であり、自然と闘いながら生きていく人間の姿を描く新藤兼人監督の代表作である。
瀬戸内海のに浮かぶ周囲約500bのちっぽけな島に、千太とトヨ夫婦(殿山泰司・乙羽信子)と子ども二人(太郎と次郎)の一家が住みついて、芋を植えている。島には井戸はないから、彼らは毎日、船を漕いで隣の大きな島へ水を汲みに行く。桶に汲んだその水を、天びん棒で担いでは、島のてっべんまで耕されている段々畑を上り下りし、その水を作物にかけてやるのが毎日の主な労働である。

その他、子どもを隣の島の学校へ船で送り迎えをすること、夕方になればドラム缶の風呂をたてて入浴すること、など、単調なおなじことの繰り返しで、変ったことといえば、夏、遠くの島で花火が上がるのを眺めること、秋、収穫を隣の島の地主のところへ運んでゆくこと、ぐらい。したがって一家で話をする必要もなく、以心伝心でみんな分ってしまう。

ただ、さいごに、子どもが一人、急に病気になるが、医者を呼ぶこともできずに死なせてしまう。島の学校の同級生たちが来てお墓まいりをしてくれて帰ったあとで妻はまた畑仕事を始めたが、悲しくなって桶をほうり出して泣いてしまう。

この映画の大部分は、何度も何度も重い天びんの桶を担いで坂道を上り下りする二人の映像の繰り返しや、船を漕ぐ映像、畑を耕す映像キして、それらを美しくつつみ込んでいる海の眺めである。おなじような場面ばかりで、単調といえばこれほど単調な映画もちょっとないが、その画面と音楽の美しさに身をまかせているうちに、いつしか、そこに描かれているのは人類がこれまで果てしなく繰り返してきた労働のリズムそのもので、その単調さを人類は無限に耐えてきたのだ、という気になる。そして、彼らのほんのちょっとした憩いの時間の笑顔や、彼らをつつみ込む自然の美しさが、まことにいとおしいものに見えてくる。

この映画は新藤兼人監督が、自己資金で、ふつうの映画の製作費の10分の1ぐらいの予算で製作したものである。出演者もスタッフも最小限度の10名余りに切りつめ、瀬戸内の宿弥島でのオールロケというこの意欲を、日本の配給会社は黙殺。映画会社の系統館で上映してもらうことを考慮にいれず、結局自主上映の形で公開されつくりあげた。したがって、日本では名画座や貸ホールなどを転々として上映されただけだった。ところが、翌年モスクワ映画祭でグランプリを受賞するや、たちまち世界じゅうで名声を得て独立プロ運動の起死回生の一作となったのだった。結局64カ国に配給された。
主役の二人は一週間かかって天秤棒に水桶を吊って急坂を登る業を覚え、完全に農民になりきり少しの違和感も与えない程になった。
 
  モスクワ映画祭グランプリ受賞
   
メルボルン国際映画祭グランプリ、
   リスボン映画祭銀賞、
   ベルリン国際映画祭セルズニツク銀賞、
   諸国友好のための親善映画祭グランプリ、
   マンハイム映画祭グランプリ、
   宗教と人間の価値映画祭国際ダグりヽ
   マーショルド賞、
   キネマ旬報ベストテン6位
                      (佐藤忠男著 「日本映画300」(朝日文庫) より)