限りなき前進
昭和12(1937)年、日活多摩川


原作:小津安二郎
監督:内田吐夢
脚本:八木安太郎
撮影:碧川道夫
音楽:山田栄一
美術(装置):堀 保治

出演:小杉 勇・瀧花久子・轟夕起子

       片山明彦・江川宇禮雄

小津安二郎原案、八木保太郎脚色、内田吐夢監督、小杉勇主演という蒙華な顔合わせによる社会派ドラマの力作で、1937年度のキネマ旬報ベスト・テンの1位に輝いた。
定年間近の老社員・野々宮保吉は、出世の見込みがまったくなく、婚期の近い娘の将来のことを考えると気が狂いそうな不安に襲われる。そしてついに彼の疲弊した精神は異常をきたし、半狂乱のまま会社で醜態を演じるが、娘と恋人の青年がかけつけ彼を連れ帰るのだった……。
この作品は当初、小津安二郎が「愉しき哉保吉君」という題で映画化しようと考えていたが、あまりに暗い内容のため会社(松竹大船)の許可が出なかったという裏話も。


                        (ぴあシネマクラブ日本映画編2002〜2003より) 
野々宮保吉(小杉勇)は東京のある会社の平社員である。いま家を新築中だが、折からの物価上昇で予算通りゆかず、因っている。はたして無事に建つか。近く娘(轟夕起子)も嫁にやらなければならないし、.まだ小学生の息子の将来の学資も貯めておかねばならない。ところが心配なことに近く会社に定年制が実施されそうなのである。そうなるとまずあぶないのが自分。不安でたまらないが、何気なく毎日の仕事をきちんとやり、家庭でも外見はおちついて淡々と日常を過ごしている。
ところが、ついに定年制がきまって、ある日、彼の言動がおかしくなる。
自分は重役になり、定年とは関係なくなったと言い出すのである。彼の幻想の中では家は完成している。そこに娘の恋人で目下失業中の青年北君(江川宇禮雄)と、野々宮に就職をあっせんしてもらいに来ている駅の改札掛とが訪ねて来ていて、野々宮は、人間なによりも誠実が大切だ、という日頃の信条を得々と語っている。自分がこうして重役に
なれたのも誠実第一でやってきたからこそだ、とくどくど言い、インテリの青年をうんざりさせる。
これが幻想にすぎないことははっきりしているので、じつに痛ましい。日頃はそんな説教好きな人間ではないのだが、不安の中にも、とにかくまじめにやっていさえすればなんとかなるはずだと、祈るような気持で思いつづけていたに違いない。誠実第三いう信条は、殆んど信仰みたいなものになっていたのだろう。しかしそれは本人が勝手にそう思っているだけで、客観状勢とはなんの関わりもない。

ある日彼は、会社の帰りに同僚たちを料理屋に招待してごちそうし、嬉しそうに「さんさしぐれ」を歌う。明らかに頭がおかしくなっている。同僚たちは彼に調子をあわせながら、そっと家族に連絡する。娘と北君が迎えに来て連れて帰る。そして精神病院へ。
一見淡々とした調子で正気と狂気が微妙に交錯する、じつに悲痛な作品である。
(佐藤忠男著 「日本映画300」(朝日文庫) より)