| となりのトトロ |
製作:徳間康快 原作:宮崎 駿 監督:宮崎 駿 脚本:宮崎 駿 作画:佐藤好事 撮影:白井久男 音楽:久石 譲 美術:男鹿和雄 声の出演:
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| 日本の1950〜60年代の農村を舞台としたファンタジー。 「風の谷のナウシカ」以来のスタッフとともに、戦後の民話ともいうべき、郷愁に満ちた世界を作り上げた。少し前まであたり前の風景だった田舎の景色を、改めて新鮮さとともに発見させるところに、監督一流の風刺が隠されていると見てもいいだろう。 母が長く入院している病院の近くに住もうと、麦畑に囲まれた家に越してきたサツキ、メイとその父。妹のメイは庭でオパケを見たと言い、小学生の姉のサツキも、雨の日にバス停で、そのオパケ(実はモノノケ〉のトトロと合った。言葉をしゃべらない奇妙なトトロと、ふたりの交流が始まる。 間もなく夏が来て、ひとりで病院へ向かったメイが、行方不明になってしまう。トトロは仲間のネコパスを呼び、それに乗ったサツキは、無事にメイを見つける。ネコパスはふたりを乗せたまま、病院へと向かうのだった。 なおサツキとメイの父の声役で、この作品の宣伝コピーを担当した糸井重里が出演している。 (ぴあシネマクラブ日本映画編2002〜2003より) |
| 日本のアニメーションの金字塔的な作品だ。 トトロは架空の生物である。巨大なタヌキのようでもあり、ふくろうのようでもある。昼間は森の中で居眠りしており、子どもが乗っかってもソファーのようにゆったり受け止めてくれるだけでぜんぜん気にしない。子どもが恐る恐る、少しの親切で親愛の気持を示すと、夜中に現れて途方もない驚異の幻想を見せてくれる。正確に言えばトトロは生物というよりも森の精である。 |
| この映画には他にも、古い家の煤(すす)の精とか、生物、無生物のいろんな精霊が出てくる。固い青菜で言えばこの映画は万物に神が宿るというアニミズムの信仰を土台にしている。アニミズムはアジア、アフリカ、中南米などの土俗信仰では今も生きているが、一神教のキリスト教で制覇されたヨーロッパでは宗教の領域から浸されて、お伽噺の中の妖精となってかろうじて生きのびた。「となりのトトロ」は、東京の郊外にまだ森らしきものがあった頃に、そこにお父さんと引越してきた女の子の姉妹が、そこでさまざまな妖精たちと友達になるというファンタジーである。 |
| 土着のアニミズムの神々というのは地元の人間にとってはタタリのある薄気味悪いものであるが、妖精という外来の存在ならその恐れもなくむしろチャーミングな観念として親しむことができる。「となりのトトロ」に出てくるトトロその他の化物たちは、西洋のお伽噺の妖精のようにチャーミングであり、同時に土着のアニミズムの神々のように守護神的な頼もしさを感じさせてくれる。見事なアニミズムの復活である。 |
| 自然環境の尊重ということが人類の最大の課題のひとつになった今、自然の万物に霊性があるとしたアニミズムは、昔の人のたわ言としてではなく、新たな眼で見直されはじめているが、いわば「となりのトトロ」という映画は、新しいアニミズムの時代における神々の再創造を行なっているものだと言えるだろう。それが、妖精とすぐ友達になれる子どもの文化として現れ、大人を巻き込んだというところが素晴らしい。 雨降りの夕方、お父さんを迎えに傘を持った少女がバス停で待っていると、その隣に茫洋として巨大なトトロが森から現れてデクの坊のように立つ。少女はびっくりドキドキで声も出ないが、トトロは気にもしない。こわいのかやさしいのかよく分らない、とにかく畏怖すべき巨大な存在。これこそ神でなくてなんであろう。 |
| (佐藤忠男著 「日本映画300」(朝日文庫) より) |