| 忠治旅日記 |
脚本:伊藤大輔 撮影:奥阪武男・渡會六蔵・唐沢弘光 配 役
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| 昭和のはじめ頃まで、日本映画はアメリカやフランスやドイツなどの外国映画に較べてひどく低俗だと言われ、子どもや教育の低い層しか見ないものだとされていた。いやしくも知識層の映画ファンにとっては日本映画を見ることはこけんにかかわることだったのである。それが知識層(当時は中学生以上がそういうプライドを持っていた)の映画ファンも日本映画を見るようになったのは、1925年の村田実監督の「街の手品師」、衣笠貞之助監督の「狂った一頁」、1927年の伊藤大輔監督の「忠次旅日記」三部作、1928年の五所平之助監督の「村の花嫁」などが相次いで出た頃からである。 なかでも「忠次旅日記」三部作は、芸術的成功作であるだけでなく大衆にも熱狂的に迎えられた大ヒット作であつたので、少年時代にこれを見て映画に志を立てた人が多く、日本映画史にひとつの時代を画した名作と言っていい。 |
| ストーリーとしては、それ以前にも何度か映画化されている講談種の侠客国定忠次の物語であって、とくに新味があったわけではない。しかし伊藤大輔の演出と新人大河内博次郎の演技によって古い物語に現代の心が通い、代官に反抗して逃亡しながら行く先々で反権力の反骨と意地を鮮やかに示してゆく野郎どもと女たちの言動が、あたかも左翼運動の激しく高揚しつつあった当時の世相と気風を昔の物語に託して語っているかのような今日的な生き生きしたものに建ったのである。 |
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農民を虐げる代官を叩っ斬って赤城山にこもった国定忠次と子分たちは、ついに敗れて山を下り、姿を変えて四散する。しかし激しい弾圧下で仲間はつぎつぎに捕えられ、裏切者もでるし、卑怯なゆすりたかりまがいのことをせざるを得ない者も出る。彼らをかばってくれる人々もいるが、油断はできないし、正義の味方として行動した誇りを保つことはさらに難しい。そして苦難の旅の中で忠次は中気で倒れ、半身不随のまま残った少数の子分たちによって戸板で運ばれて捕手たちから逃げつづける。 最後に子分たちは、動けぬ忠次を守って殺到する捕手たちと斬り結び、次々に倒れる。その悲愴美がファンの心を激しくとらえたのだ。 このフィルムは長い間、失われたものと考えられていた。1993年、蒐集家の家の納屋から発見され、フィルムセンターで修復されて公開された。第一部「甲州殺陣篇」は殆んどなく、第二部「信州血笑篇」と第三部「御用篇」も完全ではないが、その素晴らしさは分る。 (佐藤忠男著 「日本映画300」(朝日文庫) より) |